違和感の正体

アタシ、わかりました。


今時の「子育て」みたいなものに対して本当にず〜っと違和感があったんです。子育ての中身とかそういうことじゃなくて、方向というか。



今まで何回も書いてきてますが、アタシは基本的には子供って親(あるいはなるべく近い親族)が育てるのが望ましいと思っています。古い人間だとか、女性蔑視?女性差別?とか言われるかもしれませんが、アタシはそう思っています。



で、今は女性がもっと世の中で活躍出来るようにとか、やりたいことをガマンしないで云々言われていて、まぁ保育所やなにかに預けて働いたりっていうのが「良い」みたいな感じになってきてますよね。アタシはそういうのがどうも自分の中でしっくりこないというか、まぁ他人のことだからそうしたい人がそうすることに文句言うつもりはないですが、なにか腑に落ちないというか、そういう気持ちがあったんです。なんでそう思うのかな・・・って自分でも不思議だったんです。
たぶん、こういうことを言うと「それって自分が良いと思っていることと違うことをしているから気に入らないだけじゃないの?」って言われそうですが、ホント、ソレともちょっと違うんです。


で、ようやくわかりました。



世間では子供のことを「授かる」っていうじゃないですか。
単純にイメージのハナシですが授かるって有難いというか、すごく大事なものをいただく感じがあります。世間一般にはそうじゃないんですかね?
で、アタシ自身の気持ちとしたら大事なものって自分の手元で大事にしたいって感じなんです。ソレを考えるとそういう大事なものを他人に預けてまで働かなくちゃならないソノ気持ちってなに?とか思っちゃうんです。
あ、念のため言っておきますが、生活のために働かないではやっていけない、本当は自分で子育てしたいけどお金を稼がなくちゃならないから預けて働いているんだっていうのは別です。だってそれはしょうがないと思うから。(アタシはまさにソレでした。)でも、その状態と社会に出て働くのを良しとするのとは全然違いますよね。だって本当は子育てしたいけど「出来ない」っていうのと子育てじゃなく仕事をしたいっていうのは状態は同じになるかもしれないけど全然別モノですよね。
「したいけど出来ない」って人に対して保育所を沢山つくるからどんどん働いてって・・・それはちょっと違うんじゃないの?って思います。
あ、逆に出来る出来ないじゃなく、アタシは仕事をしたいんだっていう人も当然多いと思いますが、ホラ、アタシは「選択」する人なのでそこまで仕事をしたい理由ってなに?って思ってしまいます。
そりゃ、誰かのためになる発明とか発見とかそういうこと、アタシの代わりに出来る人はいない・・・みたいな感じだったら自分のみならず回りからも是非仕事を続けてくれ、みたいな感じじゃないかと思いますが・・・正直、ほぼ大多数の仕事って別に「アタシ」じゃなくてもいくらでも誰かが代わりに出来る仕事なんです。ソレ考えたら・・・そこまで頑張って仕事する意味ってなんなのかな、家族よりも大事なのかな・・・ってアタシには不思議なんです。


なんとなく子供を授かるんじゃなくて出来たって感じが一番近いのかも・・・と納得しました。