線路で救助し亡くなる

70代半ばの男性が線路上に倒れていたのを見て、40歳の女性が救助したが女性は亡くなったというニュース。
その女性のしたことは人間として尊敬に値する行動と思います。



ただ・・・美談のように報道されていますが・・・アタシは色々と考えてしまいます。
人でなしな発言と言われると思いますが、自分の気持ちを書きます。




細かい状況とかわかってないので、考え方として間違ってるところがあるかもしれません。



救助された男性は「気が付いたら救急車の中にいた」と言ってるそうですが、どうしてそういう事態になったのかわかってないんでしょうか?
アタシが今回考えたのは救う側じゃなく救われた側のことです。



一部始終を見ていた女性の父親は「助かった男性が娘の分も生きてくれたら(じゃなくて、軽傷だったのが幸い?)」みたいなことを言っていたように思いますが、



もし、自分が70代半ばで救助された側だとしたら・・・正直、助けてくれなきゃ良かった、見て見ぬふりをして欲しかった、気付かないで欲しかったって思います。
あ、助けようとした女性は本当にまっすぐに見て見ぬふりなんか出来なかったんだろうし、その状況に「反応」して行動したんだと思います。
でも、もし自分が救助される側だったら、やっぱり助けて欲しくなかったです。(女性も助かったんだとしたら話は別です。)


仮に女性が平均寿命まで生きるとしてあと40年くらいは生きられたと考えると、自分があと40年なんて生きられないし、イヤイヤ時間だけで計るもんじゃないだろうと言われたとしても、正直どんなに頑張って人のために生きたとしても女性の残り40年間に匹敵するような生き方が出来るとは到底思えない。(あくまでも「アタシ」に関して言えばってハナシです。)
これが仮に小学生とか中学生ならまだ色々やること、やれること、やりたいことがあるだろうって思いますが・・・70代のアタシのために命をかけて欲しくないです。
あ、もちろん、世の中の多くの人はこんな「計算」というか、そんな損得勘定みたいなことだけ考えて行動してるわけじゃないだろうし、その場の一瞬でそんなこと考えないだろうし、命は皆平等ってのもわかります。アタシも四六時中損得勘定だけで生きてるわけじゃありません。ただ、今冷静に考えると・・・みたいなことで・・・全くやるせないです。



そして更に、もし自分が救助された男性の娘だったとしても・・・手放しで「助かって良かったね!」って思えないです。もちろん「死ねば良かった」とか思ってるわけじゃありません。でも、なんというか、それだけのことに報いる方法がわからない。
どうすればいいのかな。
なにか、死ぬまでず〜っと重いナニカを背負っていかなくてはならない気がします。(しつこいですが、あくまでもアタシの場合ってことです。)




水の事故では、溺れている人がいても助ける側は飛び込まないで浮き輪みたいなものを投げ渡す、みたいなのがあったと思いますが、踏切でもそういうルールみたいなのを考えて周知したらいいんじゃないでしょうか、もうあるのかな?