「見られるということ」と「評価」

「他人からどう見られるかということと評価されることは違う」
と言われた。
違うような気もするけど、同じような気もする。(というか、どっちかがどっちかに含まれてる感じがする。)


「井乃中さんはそれを混同していると思う。分けて考えられないのか意識的にそうしているのかどうかはわからないけど。」
と言われた。
たぶんわかってない、分けて考えられないんだと思う。


以前にも書いているはずだけど、あたしは自分が他人からどう思われようと別に全然構わない。(ただ知った人の前では多少「つくる」。「あの家の奥さんて・・・」みたいに言われて家族がイヤな思いをしないようにぐらいの「皮」は被る。)
一方、「評価」ってことだと思うんだけど、他人から期待されたくない。「コイツは何をやらせてもダメなヤツだ」「全くつまんないヤツだな」と思われたい。もし間違って期待してる人がいたとしたらその人をガッカリさせたくないから。



「それって常に(逃げ道)を用意してるってことですよね」
と言われて、そうですね、そうだと思いますって答えた。
あたし、全力でやってる「つもり」ですが、世の中一生懸命全力でやればなんでも叶うほど甘くないと思う。あ、こんなこと、小学生とか中学生とか大人にも言っちゃいけない言葉なのかもしれないけど、けど、少なくとも自分自身には期待されたような結果を出すことが「出来ない」とその部分についてはもう断言出来る。あたしなんかつまんない女ですよ。

あ、言っておきますが、「出来ない」と思って最初から手を抜いてるを思われるのは心外。ホント、全力でやってるけど結果が出せないだけだ。そして結果が出せないと努力が足りないと思われる。そうかな。そして世の中って結果が出せなかったら「つまんないヤツ」なんだよ、「世の中」はね。


すげぇがんばってる。けど、結果に出なければそんなの自己満足でしかない。「努力したつもり」にされてしまう。
だったらさ、最初から出来ない人間でいいよ。どんなにがんばったかなんて言いたくないもん、そんなどうでもいいカッコつけみたいなこと言ってなんになる。あたしなんかつまんないおんなでいい。
自分自身は結果が出せなくても全力で続けるけど、他人からは価値のない人間だと思われていたい。それで自分がラクになったりはしないけど、誰かをガッカリさせることはなくなるはず。

あ、自分で今思った。
あたし、誰からも怒られたくないのかも。(まぁ、あまり怒られたいと思ってる人も多くはないと思うけど。)
ガッカリするっていうか、自分の期待したようにならないと不愉快じゃん、頭にくるじゃん。それでその感情をぶつけられるのがイヤなのかも。


自分にガッカリして欲しくないってのと、自分がガッカリさせたくないっていうのって違うよね?