格差社会

昨日、NHKラジオの「いきいきホットライン」を聴いていたら、ゲストの斉藤貴男さんがとてもいいことを言っていた。(別に内容が正しいとか間違っているということじゃないので、念の為・・・)
テーマは「格差社会」についてで、私もメモをとりながら聴いてたわけでもなんでもないので、多少間違ってる部分とか言い回しの違う部分もあると思うけど、だいたいこんな感じってことで・・・(話している順番も違ってると思います。)


昔から格差というものはある。例えば、祖父が総理大臣で父が○○大臣、おじさんも○○大臣で、自分は小さいころから私立の一貫校に通って、まぁお金にも不自由はしていないのでそのまま大学を卒業し、大企業に入り、父親が亡くなったら地盤を引き継いで議員になるっていう人がいるわけですよ。一方で、両親を事故で亡くしたとかで孤児院で育ち、お金もないから大学にも行けない、就きたい仕事にも就けないっていう人もいる。
「競争」はいいことだけど、競争するっていうのは、スタートラインが同じでなければ競争にならない。一方はスタートラインから100mも後ろからスタートし、一方はゴール10歩手前からスタートする。これは競争とは言わないでしょ。競争になってない。
こういう格差を少なくすることが「政治」なんですよ。それが今の政治は全く逆で一方はスタートラインから1kmも後ろ、一方はゴール10cm手前からスタートさせるようにしてる、というかそれを目指しているとしか思えない。


財務大臣(だったかな・・・、ごめんなさいよく覚えてないので)は以前○○大学の教授だったんだけど、その時に書いた本の中で、沢山お金を持っている人が沢山税金を払うっていうのはおかしい、それは貧乏な人が政府?を通した「税金」という形でお金持ちからお金をドロボーしてるってことだと言ってる。
お金持ちの子供がおもちゃを沢山持っていて、貧乏な子供はおもちゃをひとつしか持っていないからって、お金持ちの子供のおもちゃをとったらドロボーでしょ。だから、全員が同じだけ税金を払うのがいい。


ゆとり教育っていうのも、実はよりエリートを養成しやすくするための仕組みなんですよ。というのは、学校で教えることが少なくなってそこをどう補うかといったら、お金があれば塾に通ったり家庭教師をつけたりと色々やり方はある。けれども、そういう余力のない家の子は勉強したくても学校でしか勉強出来ない。差は広がる一方です。


昔だってホームレスはいた。もちろんお金持ちもいた。けれども「一億総中流」と言われた頃は希望があったから、多くの人が自分のことを「中流」と思えた。実際にお金があるかないかじゃなく、そう思えたということが大事。だけど今は希望がないからそう思えなくなってきている。



まぁ、なんとなくこんな感じだったんだけど、なかなか上手いことを言うなぁ〜と感心しながら聴いていた。あと、教育についての部分は「うひゃ〜!!」と思いながら聴いていた。これって家のこと。別に「エリート」までいかなくても多少頑張って頭良くなって欲しいんだけど、それもお金がなくちゃ(学校の勉強だけちゃんとやってるぐらいじゃ)全然ダメってことがすごくわかった気がした。悲しいことだ。


あと、景気のことにも触れていて、今って景気が良くなってきてるって世間では言ってるでしょ、私には全然感じられないんだけど。
これも、景気がいいかどうかを企業の社長に聞けば、そりゃ人件費が少なくてすむ海外で物をつくって日本で売れば利益もあがって企業としては景気がいいと答えるかもしれないけど、それが一般市民にまで回ってきてるかっていうのとは別の問題だと言っていたと思う。そうか、そうなのか・・・ってなんか納得。そりゃぁ〜そうだよなぁ・・・、大きなところは社長のみならずちょっと役がついてるような人だってビックリするほどもらってるんだもんなぁ、一方小さい会社なんて社長の給料だって・・・。