出来る人の都合

ホント、イヤ。


統計とった結果なんだろうから、それを真っ向から否定するだけの根拠はアタシにはないです。
でも非常に不愉快。



いつものように運転中にラジオを聞いていると「食育」だか、それ絡みの内容についてやってたのですよ。
まぢで腹立たしい。


あえて「大人」って言いますが、なんでも関連付けるなよって言いたい。あ、でも「真実」は関連付いているのかな、ホントは。



アタシ、自分の記憶があまりない頃(だから、たぶん保育園とか幼稚園以前の話だと思うのですが)今ではもう無くなってる(と思ったけど・・・いったい何時の時代の話だって感じですね)「健康優良児」だったのです。
ひょっとして今で言ったら「デブ」ってことでしょうかね?よくわかんないけど。


でも、その後、今のアタシからは考えられないと思いますが、あまり「食べる」ってことが好きじゃなくなったみたいなんです。っていうか、自分の意識としては食べることが好きだった記憶がないんです。そりゃぁ人間ですから「お腹減ったなぁ」とかって思うことがなかったわけじゃありません。けど、食べることに対してそんなに積極的じゃなかったように思うのです。そしてそんなふうだから好き嫌いも沢山ありました。イヤ、ほとんど嫌いって感じ。肉や魚はダメだったし、緑黄色野菜のみならず野菜もほとんど嫌いだったように思います。
あ、この状態をそう呼んでいいのかどうかわかりませんが「食が細い」って感じなんじゃないでしょうか。
だから?当然ですが痩せ型で(←ホント、今の体形や行動からは想像出来ない!)でもメチャクチャ健康で、よく兄からは「オマエって低燃費だなぁ〜」なんて言われていました。


「好き嫌い」っていうのは、フツーに聞いたら「そんなのワガママだ」って言われると思います。その気持ちも良くわかります。でも状態?とするとそんなワガママなんていう軽いもんじゃなく「食べられない」んです。「喉を通らない」感じで無理に飲み込もうとすると逆に今まで食べたものすら吐いてしまう。大袈裟じゃないですよ、ホントにそうなんです。フツーに食べられる人にはわかってもらえないと思います。っていうか、なんでもそうですよね、「出来る」人から見たら「なんでそんなことぐらい」ってことなんです。


で、たぶん・・・ですが、そういうこともあって「食べる」ことがそれほど好きじゃなかったんだと思いますが、それに拍車をかけたのが学校給食なんです。(あ、保育園でもありましたが・・・。)今はもうそんなことはないと思いますが、昔って「絶対に食べなければならない」って感じだったのです。アタシ、いつも一番最後まで食べていました。そしてホント、今思い出しても「イヤな思い出」って感じですが、誰にも見られないようにコッソリ持ち帰ったりもしてました。作ってる人には申し訳ないですよ、そんなのわかってるけど「ノルマ」なんだから逃れられない。
よくテレビなんかで子供に学校で楽しいことは?って聞くと「給食」って答える場面があるじゃないですか。正直なところ自分には信じられない話です。アタシは学校で何がイヤかって給食が一番イヤでした。給食さえなければってホントそう思っていました。
給食にはイヤな思い出しかないかも。だからたまに自分が食べられるモノだけの献立だったりすると本当に「ホッ」としてました。



大人が「みんなで食べれば食べられるようになる」なんていうのは、そんなのは「なんでもやれば出来る」っていうのとおんなじで口で言うのは簡単で、都合のいい話です。「本当にお腹が減れば嫌いなモノだって食べるんですよ、それしかなければ。」って・・・。
ラジオでは「好き嫌いがある子はその他の物事にも消極的でなにか新しいことやろうっていう意欲がない」みたいなことを言ってました。アタシ自身は今でも引きこもり(潜在的)な人間なので、確かにコレに関しては正しいのかもしれないです。でも反論させてもらうとすれば、そんなのは回りの環境、特に「そんなの気持ちの問題で美味しいから食べてみたら」とか「食べてみれば美味しいよ」っていう「押し付け」(←と、言ってる本人は思ってないでしょうが)で気持ちが萎縮しちゃったからだと思うんですよね。「食べられない子」が消極的なんじゃなくて「食べさせようとされる子」が消極的なんじゃないかな。少なくとも自分はそっちじゃないかと思ってます。



アタシ、好き嫌いが多い頃、何を食べて生きていたかっていうと(大袈裟な言いっぷりですが)白いご飯と漬物だったんです。あと、田舎だったので「ヤギの乳」。これで生き延びてた感じです。(そりゃたまにはカレーとかね、そういうのも食べてましたが。)
おかずがなかったわけじゃないですよ、自分が食べなかっただけ。
父も母も普通の人だったので、普通に「漬物ばっかり食べてないで他のおかずも食べなさい」っていつも言われてました。
おかげで(ってヒトノセイにするのは良くないと思いますが)今ではそういう「イヤな思い出」のせいで、漬物=食べちゃいけないもの・・・みたいな刷り込みがあって、みんなが「漬物美味しいね」って食べているのに自分としてはあまり「食べたい」って思わないです。あ、一応漬物も自分でしたりもしますよ、でもそれは自分が好きだから漬けるんじゃなくて、主婦の仕事の一部分みたいな感じ。今後10年、20年経てばまた気持ちも変わるかもしれませんが、自分としては「食べるものじゃない」というか「食べてはいけないもの」みたいな思いが結構強いです。


昔食べられなかった肉や魚や野菜なんかも今ではほぼ好き嫌いなく食べられるようになりました。でも今も「食べる」ことに対してそれほど積極的ではないと思います。(とか良いながらはちきれんばかりに食べてるのも事実ですが。)もちろん、テレビのグルメ番組みたいなのを見ていて「はぁ〜そんなにすごいのか、食べてみたいなぁ・・・」って思うことは多いです。でもなんというか、逆に「別に食べなくてもいい」って感じなんですよね、上手く言えませんが。



まわりから食べろ、食べろって言われなくても食べたくなったら食べると思うし、本当に体が必要なら食べたいって思うんじゃないかな。
自分の経験から言うなら無理矢理やって「完全に嫌い」になるより、食わず嫌いでも放っておいてもらったら時期がきて自然に、なんとなく食べられるようになるもんです。それでも食べられないならそれは本当に「嫌い」で「食べることが出来ない」ものなんです。
食が細い人間は新しいことにチャレンジもしないかもしれないけど、自分、そうでもないよって思ってます。




なにについてもそうですが「出来る人」は「こうしないからダメなんだ」「それがダメだからこっちもダメなんだ」ってすぐ言いたがるように思いますが、そんなふうに関連づけていったら何にも出来ないクズってことですよね?
そんなことないです、そういうふうに言われる悲しい気持ちを知っている。