「子供」って単語は別世界。

【「子供いなくても幸せ」な社会に 女性ら活動、共感の輪広がる】を読んでの感想です。興味があったら読んでみてください。
まぁ、読まなくてもそのまんまです。



なんかなぁ・・・まぁ人間の考え方というか信じること?だからなにを言っても平行線だと思いますが、あまりにも「子供」ってものが特別扱いされてることに「ヘンなの」って思っています。



今までに何度も書いてきてますが、アタシは基本的には結婚して子供は産むべきと思ってます。しつこく言いますが、くれぐれも「産めない人」にまで産むべきと言ってるわけではないと強く言っておきます。



で、記事の中にこういう一文があるんです。
「自分以外には全員子供がおり、会っても話題は子供のことばかり。ランチに誘われても断っている」


あの・・・こういうこと言われるとホント子供いる人と子供いない人は「付き合えない」みたいな話になっちゃう。
人間て基本的に自分の経験を誰かに話したいものだってアタシは思ってる。



今現在子供が小さい人は子育ての大変さとか小さい子供のやる「オカシイコト」を誰かに話したいもんです。で、同席している人に似たような小さい子がいる場合、今はもう大人になってしまったけど子供が小さい時は大変だったと思ってる人にとっては「そう、そう」「ある、ある」みたいなことで話が盛り上がるのはしょうがないこと。
それで子供のいない人が「疎外感」を感じるのは気の毒とは思うけどしょうがないことだと思う。



けど・・・例えば海外旅行とか、そういう話だとしたらどうですか?
最近海外の・・・例えばヨーロッパを旅行してきたって人がいたとして、その人が旅行中の話をしてる時にそれよりも前にヨーロッパを旅行した人がいればやっぱり「そう、そう」って話は盛り上がると思うんです。それに対してヨーロッパに旅行したことのない人は(アタシみたいな貧乏な人は)羨ましいなぁっていうのと同時に「疎外感」も感じると思いますが、そういうことについては殊更「しあわせ」と結び付けたりはしない。
っていうか、そういう他人に対する気持ちも含めて自分の中で昇華させていくってことが幸せに繋がるんじゃないかとアタシは考えている。



「子供」って単語が出ると「=幸せ」と結び付けたくなるのはなんで?



子供のいるアタシが言っても説得力はないと思いますが、アタシ自身は子供がいれば幸せだとは思ってないし、当然ですが子供がいなくても幸せだと思ってる。



「子供いなくても幸せ」な社会って・・・そういうことを考えてるヒトこそが実は優先順位の一番上に「子供」を位置づけてるんじゃないかと思う。
まぁ人間の価値観は人それぞれなのでそれがいいとかわるいとかってのはなんとも言えないけど・・・でもわざわざ「子供がいなくても幸せ」とか言葉にしなくてもなぁって思ってしまう。




ホント、子供って単語は不思議。