気持の整理整頓

よく「心の器」みたいに言うかと思います。(言わなかったら勘違いですみません。)


最近すごく思うのは、人の心って「ダム」じゃないかなって。
ダムってゲートがあって放水量調節出来たりするじゃないですか。(もちろん色々なダムがあるだろうから、物知りの人からしたら「それはちょっと違う」って言われちゃうかもしれませんけど。)


統計とってるわけじゃないからあくまでもアタシの「印象」の話しですが、最近の人って心の常時満水位がメチャクチャ低く設定されている気がする。しかも(とアタシは思っていますが)ゲートをちょっとだけ開けてるか完全に閉めててのソレ。


だから「そんなことぐらいで」って思うようなことでキレたり、逆に心の病になったりする。言っておきますがそういう病気になってる人を非難したいわけではないです。単純に「そういう理屈」なんじゃないかなってハナシ。

常時満水位ってそれこそ「容量」みたいなことで、自分の中でどれだけ気持ちを溜めておけるか、みたいなことだと思うんです。嬉しいことやイライラすること、生きていたら毎日なんらかの刺激があってそれに対する「感情」も起きてくると思いますが、それをどれだけの時間?溜めておけるかみたいな感じだと思う。で、単純に溜めてるだけだといつかキレると思いますが、容量が小さければもうアッと言う間にキレるし容量が大きければキレるまでには時間がかかる。で、更にゲートの開きを調節出来たらキレることってまずないですよね。
人それぞれのストレス解消法だったり、まぁ「聞き流す」「気にしない」ことだったりが「ゲート」だと思う。


そして思うことは、食育とかで良い体を作るとか(って趣旨なの?)運動して筋力アップとか、勉強して学力アップとか・・・そういうことはみんな一生懸命やってるんじゃないかと思いますが、いざ心のハナシになると単純に「性格」「気質」みたいな感じであんまり「作る」みたいな発想ってないように思う。


イヤイヤイヤ・・・アタシは人生半分以上生きてきてようやくですが、心って鍛えたり作ったり出来るもんだなぁと「理解」しました。
人により趣味の違いはあるのでなんとも・・・ですが、一番安上がりで誰にも出来ると思うのは自分の気持ちを言葉にすることです。言葉にして誰かに聞いてもらうとか相談するとかそういうことではなくて、気持ちを言葉という形にすることです。気持ちという見えないものを言葉に変換するのってメチャクチャ難しいのですが、それはなぜ難しいかというと整頓出来てないから。だから文章に出来た時点で整頓されていて、問題の解決にはなっていなくても気持ちはある程度「スッキリ」するはず。もちろん方法はなんでも良いのですが。(解決にむけてはそこから始めればよいこと。)整理はゲートにやってもらう。


でもたぶん、今時は瞬発力が要求されることが多いと思うので(SNSなんか「今」「いち早く」が大事でしょ)すごく頭の回転が良い人以外は整頓しないままキレてるんじゃないかなって思う。(キレてるんじゃなくてゲート全開なのかも。)