やりたくてやっている。

たぶん10年くらいは前じゃないかと思うのですが、仕事関係の人から「仕事だってなんだってみんな【やりたくてやってる】んだよ」と言われ「えぇ~そうかなぁ~、仕事してたらイヤだなぁ~って思いながら渋々やることだってあるんじゃないですか」と応えた覚えがある。


が、最近確かにみんな「やりたくてやってる」んだよなぁと思うようになった。
(アタシにそう言った人はたぶん似たような年齢の人なんだけど、アタシがようやくその人と同じような精神年齢になったのかも。)



以前に「人間の心は数直線」みたいなことを書いたような気がする。
好きか嫌いかハッキリしているようなものについては自分の心の目盛り?が目で見てハッキリわかるくらいな大きな目盛りになっていて、だから例えば9:1で好きとか、8:2で嫌いとかもうその違い?が明らか。
で、どっちもいいなぁ、どっちが好きかわからない、みたいなのは、その目盛りがものすごく細かくついていて、ものすごぉ~くズームしたら実は49999:50001みたいな、そういうことなんじゃないかなとアタシは思っている。ソレ、遠くから見たら半々ぐらいだよなぁ、みたいな。(別にそこまでズームして自分の気持ちに白黒つけなくちゃならないこともないから、フツーはそこまでは考えないと思う。)



で、この「やりたくてやってる」ってハナシですが、これも「やりたい」「やりたくない」っていうどっちか一方を選ばなくちゃならないってことを考えると、結局は目盛りの大きさってことなのかな、と思ってしまう。
例えば本当にやりたくなくてやりたくなくて、でもしょうがなしやるっていう場合でも、絶対にやらないんだったら10割「やらない」ってことですよね。気持ちとしては「渋々」だったり「嫌々」だったとしても「やる」か「やらない」かで結局「やる」ことにしたんだったらものすごく細かくついた目盛りを読んだら50000000001:49999999999みたいなことじゃないかって思うのです。


つまり「渋々」だろうが「嫌々」だろうが、「やる」方が上回っている。
ソレ、自分でも気付けないくらいの「やりたい」気持があるってことじゃないの。
っていうか、気持ちとしては全然やる気ないですって感じかもしれないけど、「やる」と決めたのも確かに自分。
「やる」と決めた時点で「やりたい」ってことなんだと思う。(くれぐれも言いますが自分自身がソレに気付けているか気付かないかはまた別のハナシ。アタシみたいに「渋々やってるんだからやりたくてやってるわけじゃない」と思ってる人は気付けていない人だと思う。)


ホント、人生半分以上生きてきて、今更コレに気付いたところでどうってこともないですが、最近は今自分がしてることは全て自分がやりたくてやってることなんだなと納得しています。


自分の人生に於いてまわりの環境からの影響は少なからずあるのは認めますが、世の中のほぼ全てのことは自分がやりたくてやっているのだと思う。
(監禁されてるとかそういう特殊な事情を除いて。)