昭和世代だからか・・・謎。

【神戸・高校生飛び降り 生徒「僕が先生にされたこと明らかに」コメント全文】


いやもうね、昭和に生まれ育った自分の感覚とは全く相容れなく、謎でしかない。
最近の世の中の感覚はこれがフツーなのか。


ざっくり・・・「2日間で計約16時間の別室指導を受け」た(当時)高校1年生が校舎から飛び降り、現在も後遺症があるそうです。


ですが、ニュースからの浅い情報だけでの感想ですが・・・この高校1年生は他の生徒に対して「嫌がるようなあだ名で呼んでいた」そうで、にも関わらず「あの日突然、別室に連れて行かれ、なぜ指導を受けるのかも分からず」って・・・え?って思っちゃうのですが。
相手が「嫌がっている」ってことがわかっているにも関わらずそのあだ名で(たぶん)呼び続けていたわけで、フツーの感覚なら「あだ名で呼んでることかな」ってピン!とくるのがフツーじゃないかと。でもこの高校1年生はなぜ指導をうけるのかも分からなかったようです。その一方【「退学や」などと怒鳴られたせいで、僕の中には退学の恐怖だけが残りました。】って・・・なんか鈍感なのか繊細なのかよくわからない。
っていうか、高校1年生で「なんで指導を受けているのか」ってその16時間の間で気づけなかったんですかね。「恐怖」で考えられなかったのでしょうかね。(けど、家に帰ってからでも考える時間はたっぷりあったのではないかと思います。それでも「なぜか」わからなかったのかな。)


別記事で「本人がいじめの加害者という認識が不十分なまま一方的に指導する」とあるのですが、「嫌がるような」っていう認識があったのであれば「フツー」は加害者側だという認識もあると考えるのが「フツー」だと思う。そして高校1年生は一方的に他の生徒が「嫌がるようなあだ名」で呼んでいたんじゃないの。そっちの「一方的」はOKなんだ。


アタシの感覚からすると2日間で16時間はやり過ぎだとは思います。(だってほぼ学校にいる「一日中」ですよね。)
でも仮に1日目が終わったところで(家には帰ってるんですよね?)親にこういう状況なんだとハナシをするとか(いじめとかもそうですが親に話せないという気持ちはわからないでもないですが、実際に「退学」となったら黙っていたところでいずれは明るみに出ること)次の日に「キチンと反省しているから退学しないで済むようにお願いします」みたいなことを先生に伝えるとか・・・そういう考えには至らなかったんでしょうかね。


とにかくなんだかもう全体として謎ばかりです。


そして・・・不思議というか、なんか納得いかないのは・・・今の世の中って「被害の重大さ」が「一番大事」なんだろうか。
いきすぎた指導みたいなのは確かだと思うけど、一方この高校1年生が他の生徒に対して「嫌がるようなあだ名」で呼ぶようなことをしなければ「指導」もなかったわけでしょ。そこのところはどうなんでしょうか。結果として「嫌がるようなあだ名」で呼ばれた「ストレス」(←かどうかは知らないけど)と「厳しい指導」を受けて飛び降りて今も後遺症もあるということの現在の「目に見える結果」が、あだ名で呼ばれた生徒と後遺症がある当時高校1年生とでは後遺症がある方が「被害が大きい」からどっちが悪いかといえば指導した学校(先生)ってことになるんでしょうか。
なんかもう・・・ホント、よくわかんないです。



っていうか・・・別室指導ってダメなの?じゃぁみんなの前で指導しろってこと?それとも1対1がいけないのかな。でも高校1年生1人に対して先生5人とかだってダメだよね?じゃぁ親子対複数の先生っていうのがいいのかな。


ホント、今時の常識ってわからない。