「音楽は観るものになった。」

だからか、と思ったこと。


ラジオで世界の音楽業界?についてやっていて、その中でどこぞの大学の教授だったかがこう言っていた。


今はネットの「動画」(=ミュージックビデオ)で音楽が広がっていく(認知されていく)みたいな内容だった。(耳で聞いてただけなので間違っていたらすみません。)
で、動画ってことになると目からの情報量も多くなり、そのため?ダンス(振り付け)もいいなと思われないとダメというか、体の動きで音楽を更に良く見せるというか聞こえさせるみたいな部分もあり、「音楽は観るものになった」というようなことを言っていた。


それを聞いていて、なるほどなぁ、と思った。


アタシ、学生の時に万葉集の授業があって、その中で(たぶんそうだったと思う)「歌」っていうのは最初は神様への祈りとか自分の気持ちを言葉にして(言霊)節をつけたっていうのが最初と習ったような気がします。(これも大昔のことなので間違っていたらすみません。)アタシ個人の感覚としては、そういう根本的な部分が今も自分の中の「歌」に対しての気持ちに近いものがあって、とにかく「言葉」とか「耳で聞く音」っていうのが「音楽」みたいなのがあります。


だから、むしろ「歌って踊って」みたいなのの「踊り」はアタシ自身としては煩いというか「邪魔」な感じがして、そういうのがあるから今時の大人数で歌う人達の音楽にあまり興味がない感じ。


(踊るのがダメということではなくて、単純に「一緒」っていうのがダメなんだと思う、アタシ自身にとっては。そして大勢でやるってことに対しても、ソレ自体がダメってことではないのです。そもそも大勢の気持ちを神様に伝えるみたいなのの根本が「斉唱」「合唱」の元になってると思ってるので。)


というわけで、最近のヒットしている曲やグループみたいなのについてアタシがあまり興味がないのは、たぶん振り付けまで入れての「曲」だからなんだな、と納得したことでした。


* * * * *

以前書いてるような気がしますが、アタシにとってはメロディー以上に「言葉」が大事で、「言葉」にいいメロディーがついていて「いい曲だなぁ」と思う感じです。
まぁ個人の趣味のハナシなので、誰がどんな曲をいいと思おうとそれは自由だとは思ってます。