「年寄り」というか「昔の人」というか。

実家の母のこと。


実家の母は戦中、戦後を生きてきた「昔の人」です。
自分のやりたい仕事とかそんなこと以前の話として家族を養う足しにするために中学を出て働くために家を出た。
本当に苦労してきた人だと思います。
日々の暮らしの中で昔と今は違うことはわかってはいるはずですが、どうしても価値観的な部分が昔のまま、しかも昔の田舎のままなところがある。


まぁ今時どこにでもある「嫁、姑」のギャップみたいなのが、実家を出たアタシからすると「そんなこと言ってもなぁ」みたいに感じられる。
というのも、お姉さんはサラリーマンの娘で、妹は都会のサラリーマンの娘なので、普段の生活から親戚付き合いみたいなものまでなにからなにまで違う。ソレについて自分の価値観と合わなくても、アタシからすると「そんなのしょうがないこと」じゃんと思うのですが、母からするとなかなか気に入らないみたいです。


例えば、お姉さんは敷地内同居をしているので(でも、たぶんパートで仕事もしている)、「昔の人」である母からしたら農作業を手伝って欲しいなぁとか、忙しい時は晩御飯の用意とかしておいてくれたらなぁみたいなのがあるわけです。(昔の完全同居時代を過ごしている人からしたら「それくらい」と思うみたい。)ですが、アタシに言わせれば、お姉さんは農作業なんてしたこともなく、ハッキリ言ってその「大変さ」も体感的にはわからないと思うので、今忙しい時期だから晩御飯作っておいてあげようかな、なんてこともわからないと思うし、だいたい今時の考え方なら「なんでお母さんちの晩御飯まで作らないといけないのか」ってハナシになると思うわけです。(アタシもその気持ちはよくわかる。)
そして、母としても(ちょっと表現がどうかと思いますが)具体的に頼んでイヤな顔をされるのは嫌だから(実際にイヤな顔されるか、されたかはわからない)口には出さない。だから思ってるだけ、というのをたまに行くアタシに話すわけです。


一応、アタシは「今と昔は違う」みたいなことぐらいは言ったりしますが、アタシからすると実の親ではありますが「他所の家の話」なので、あまり首をつっこみたくない。


あ、これはお姉さんということで書きましたが、兄に対しても同じようなことを思っているようです。(兄は今年定年となったので、農作業を手伝ってくれるのかなぁと期待していたみたい。)ですが、コレも母に直接言いましたが、今は定年=年金生活(という人もいるにはいると思いますが)ではなく、退職してもすぐに年金を貰えないから、また仕事に就かなくちゃならない。(実際に兄はそうしている。)そうなると、まぁ農作業の手伝いをするにしても限界がある。
アタシからすると「そりゃそうだよな」と、まぁ納得できるのですが、母は不満みたい。


全体として、昔の自分と比べてしまうわけです。
(っていうか、まぁなんでもそうですが、どうしても自分の体験と照らし合わせて考えてしまうのが人間だと思う。)


なんかなぁと思う。


妹(弟)に対しても同じ感じ。
ホント、細かいことですが、実家の父と母は色々なタイミングでまぁまぁいい額のお金を渡しているのです。父はそうでもない(ように思う)のですが、母は本当に「昔の人」で、よくある「半返し」とか「1/3返し」みたいなのが「普通」と考えている。
が、なんというか、妹は都会の人だからか、その辺りが結構ドライな感じでお返しがないわけではないけど、渡した金額からすると(母の感覚としては)「これだけ?」みたいに思うみたいなんです。
(アタシ個人としては義理としての「半返し」みたいなのはちゃんと承知していますが、親子(兄弟)だし、半分モノで返してもらうくらいならそもそも半分あげるのと同じだからお返し無しでいいじゃんと思っていて、一応妹にはそう伝えてあるので、家と弟一家のやりとりはそんな感じで、なんとも思っていない。)


なんというか、昔の人と今の人、田舎の人と都会の人みたいな感じで感覚が全くズレていて、聞いているアタシからすると「なんだかなぁ」と思う。
が、しつこく言いますが、一応「今と昔の違い、生きてきた生活環境の違い」みたいなことは言いますが、余所の家のことにあまり首をつっこみたくない。
実家とはいえ、アタシはもう井乃中家の人間と思っているので(おそらくこういう感覚も古いといわれると思うけど)「他所の家」なんです。


あ、愚痴?として実の娘であるアタシにそういう話しをしますが、母としては積極的?に意地悪をしたりみたいなのはないはずです。(たぶん。)
ただし、お姉さんからしても、妹からしても自分の感覚と合わないというのは感じていると思うので(アタシはソレを言葉の端々から感じる)まぁなんというか、母もお姉さんも妹も「大人な対応」ってところではないかと思う。




そして、コレは完全に「年寄り」な考え方だと思うのですが、最近の新型ウイルスのワクチン接種での話です。
アタシは医療従事者の知り合いが何人かいて、接種後の体調について色々聞いているのですが(腕が痛くなるとか熱が出る、みたいな話です)それを母に話すと「そんなことあるわけないじゃない、鍛え方が違う」みたいな言い方をする。
イヤイヤイヤ・・・鍛え方って・・・そういう問題じゃないんだけど。なんというか昭和の根性論もいいところって感じです。
まぁ歳をとった人より若い人の方がそういうのが出やすいとかいう話しなので、きっと母が2回目を打っても「なんともない」っていうのが実際かもしれなくて、そうなると「ほらね、鍛え方が違うんだって」ってハナシで終わると思うのですが、こういうのも「なんかなぁ・・・」と思います。
なんというか、自分は大丈夫っていう感覚と、自分は本当に今まで苦労して(身体を酷使して)きたっていうプライドみたいなのがあるんじゃないかと思う。
実際にアタシ自身は父や母のような「頑張り」はとてもムリと思っているので、父や母の肉体的、精神的な強靭さみたいなのに対しては「凄い」と思うのですが、ですが、今回のことはソレとは別問題、別次元の話で、その辺りをそう考えられないところが「年寄り」だなぁとおもわざるをえない。


が、一方、これってどうしようもないことなのかなぁとも思う。
アタシは今母を見ていてそう思うけど、これが、30年後になったら自分の価値観が最優先されて他はみんな「おかしい」みたいになっちゃうのかな、とも思います。
ホント、人間の心は不思議。