「お金を稼いでいる人=価値基準がお金の人」の発想。

世の中、お金が大事だということは百も承知です。


先日、実家の母から「(アタシの)弟が来るんだけど、家に何もないからなにか買ってきてくれないか」と電話がきた。
(たぶん金曜日だったような気がする。)

実家の母は現在は敷地内同居をしているが免許を返納しているので「足」がないわけです。
で、兄はその日、朝早くから仕事に出たらしく、まぁ母とお姉さんはビミョーに上手くいってないし(まぁよくある嫁姑みたいな感じ)仕事もあるので頼むわけもなく、結局アタシに連絡がきたわけ。


アタシは無職ではあるけど、毎日ヒマだなぁ~することないなぁ~みたいな感じで日々を過ごしているわけではないんです。
今の時期であればほぼ毎日畑に出ている。(仕事として出荷したりしているわけではないから「仕事」とは言えないけど、ヒマではないです。)

が、母からそう言われて、しょうがないなと思い往復2時間以上かけてただの買い物(お弁当やら飲み物やら)をしにいった。


これ読んで、イヤなら行かなきゃいいじゃんと思う人が多いと思う。
ハッキリ言えばなんでアタシの「貴重」な時間を割いて買い物しなくちゃならないんだとは思うのですが、一方で母のためではなく、アタシが後々後悔したくないからやっている。後になって(全然優しい気持ちでやってるわけじゃないのですが)「あの時、もっと優しくしておけば良かった」って後悔したくないためにやっている。


で、買い物しながら・・・アレ?でもこれって母がタクシー使って買い物すればいいだけじゃないの?と思いつき(アタシは頭の回転が遅いのでここでようやくそう気が付いた)買い物したものを持って実家に行き、母にそう言うと・・・・



「だって、ソレをしているヒマがないんだ」


と言われた。

要するに、アタシはヒマだから買い物頼むけど、母は忙しくてヒマがないと、そう言いたいらしい。


アタシはコレにカチンときたんだけど・・・これって専業主婦に対する、古くは働いている男性、今は男女問わず働いている人の発想に似てる感じがした。
要するに「金にならないこと≠仕事」って発想。
実家は(母のみならず兄をも巻き込んでいるが)スーパーに「地元の農家」みたいな感じで野菜他色々なモノを出している。
つまり、母がやっている畑仕事みたいなことは「金になる」=「仕事」なわけですよ。
アタシがやっているのは自分ちで食べたりするだけで「お金にならない」≠「仕事」なわけです。

価値基準がお金の人は、収入がない=なにもしていないって考えになるんだろうなと、今回しみじみ感じた。
収入(だけ、とまでは言わないまでも)でヒトをランク付けしてるみたいなのが・・・アタシにはどうもピンとこない。


お金がすごく大事なのは百も承知だけど、仕事だろうと趣味だろうとボランティアだろうと、人がすることに対して上下みたいなのをつけるのはアタシはイヤだ。