日本の未来って「プロ」と「ボランティア」以外は要らないみたいな気がしちゃう。

テレビを見ていたら、頭の良い人が日本の未来について語っていた。


そこで、今地方(田舎)の行政?が老人一人の世帯が5軒しかないようなところに、家賃が安いとか言って若い夫婦を移住させようと?しているけど、それをしたって将来老人がみんな亡くなってしまえば結局1軒しか残らないので意味がない(←という文言ではなかった)みたいなことを言っていた。


けど、アタシはソレを聞いていて、そういうことをしたいんじゃないと思うけど・・・と思ってしまった。
(まぁアタシは行政の人間ではないですが。)
そういうの考えてる人は(たぶん)5軒のところに1軒だけ若い人に入ってもらって「わぁ~い、やったぁ!」と思って終わってるわけじゃなく、期待してるのは5軒のところに5軒・・・10軒の若い人が入ってくれることなんじゃないかと思う。単純にソレが上手くいってないだけ。


で、ソレが上手くいってないのを解決するにはってことで、その頭の良い人がいうことには世代ごとに住む場所を分けたらいいみたいなことを言っていた。(実際にはもっと色々複雑な内容があるんだろうけど。)
選挙もその区切られた中でやればいいと言っていた。


アタシはソレを聞いていて、まぁ確かに「住みやすい街」にはなるのかもしれないけど、その土地に根差した「文化」みたいなものは継承されていかないのでは、と思ってしまった。
もちろん「文化」みたいなものって「なくてはならないもの」ではないから、生きるか死ぬかみたいな生活の方が大事ってのは十分承知しています。



アタシはこの時期になると地域の「しめ縄作り」講座みたいなのに参加するのを楽しみにしているんだけど、そこでは歳をとった講師の方のまわりに参加者が車座みたいになって作業をするんです。作業中にしめ縄や行事についてや、昔のことをお話ししてくださるので「へぇ~そうなのか」みたいに思いながら聞いています。
たぶん、昭和前期?ぐらいまでは何世代かが一緒に住んでいることが多くて(特に田舎)、良くも悪くも親のやることを手伝ったりするのが当たり前みたいなところがあったように思う。「良くも悪くも」だから「こんなのやりたくない」みたいな気持ちだって多分にあったと思うけど、それでもやっていたんだと思う。そして、そういう場所で自然に、見様見真似で、わかるようになることがあったはずで、それを「常識」としていたんじゃないかと思う。
今はやりたくないことをやることは完全に「悪い」こととして扱われるから、そもそも何世代かが同居すること自体が珍しい。


で、現状でも文化の継承みたいなのはものすごく難しいと思っているのですが(小さいのでいえば地区のお祭りみたいなのも準備が大変だからやめようみたいな・・・)これで世代毎に住む場所が分かれるとなると、その場所で良い生活は出来るかもしれないけど、古いものを伝えていくっていうことはすごく難しくなると思う。というか、出来ないのではないかと思う。


ここまで考えた時・・・今時の考え方だと「プロ」を養成すれば伝統文化の継承には困らないのかと思った。
お金を出してプロにやってもらう。学校のPTA活動、地区の清掃とか、お金を出して業者(プロ)にやってもらった方が良いっていう世の中だから、お祭りも地域で頑張ってやるんじゃなくて、そのお祭りを伝えていく「プロ」を育てて「プロ」にやってもらうのが間違いないってなりそう。
もちろん中には本当にやりたいっていう「ボランティア」もいるだろうけど。
そういうことを考えると、この先の日本てなにかをやるにあたってメチャクチャマニアックというか、お金もらってやる「プロ」とやりたくてやる「ボランティア」しか必要ないってことなんだなと思った。


でもそうなると、この先イベント的なものは完全有料(見るだけでも)になっていくと思う。(そうしなければ「プロ」を育てることは出来ないから。)


なんかなぁ・・・難しい世の中だよなぁ。