脳内変換。

今時は「ボケる」って言葉は使っちゃいけない言葉ですか?
もしそうなら申し訳ないが、でも「状態を示す」ピッタリな言葉だと思うから使っちゃう。


実家の母のこと。



人間歳をとると、身体的な衰えって目で見てわかって「昔とは違う」ってわかる。
でも、当たり前ですが、肉体全部が衰えていくわけで・・・それを痛感する出来事があった。ボケてきてるって感じかな。



昨年実家の父が亡くなり、でもこのご時世もあって葬儀関係全て家族のみでやった。新聞のお悔やみ欄にも出さなかった。
でまぁ、ダンナ側の親戚にはわざわざ亡くなりましたと報告もしなかったわけですが、例年通り年賀状を書いたらその返事?(欠礼のお詫びみたいな)でそれを知り、今までこっちに来てもらっていたのに、こっちから音沙汰無しというわけにはいかないとのことで、都合を見ていきたいと連絡があったわけです。


そのことは実家の母にも伝えてあったのですが、先日その親戚から「明日行きたいと思って電話しても出ないから、ちょっと確認して欲しい」と連絡があり、実家に連絡した。(これが2月1日のハナシ。)



すると・・・「明日って急だね、なんにも用意(お返しの品とか)してないから・・・節分過ぎた来週以降でお願いしたい」みたいなハナシになった。こんなこと書くと「ご霊前」みたいなのを欲しがってるみたいに思われるかもしれないけど、たぶん親戚も義理堅いし、わざわざ行くのに手ぶらってことも考えにくい。そうなるとやっぱり「ご霊前」のお返しみたいなのは用意しておかなければって思うのはまぁ普通の感覚。
今、母は移動の手段がなく、またお返しの品もなにを用意していいのやらという感じで(まぁタクシー使えばいいというのはあるけど、タクシー自体に乗り慣れていない母は、タクシーであっちこっちを回るのは億劫らしい)土日に兄と一緒に買いに行くか、みたいなハナシになった。




そして2月4日の朝。
用事があって出かけようとしていたところに母から電話があった。
「親戚の人、来ないんだけど。用意して待ってるんだけど・・・今日来るんだよね?」



はぁ?そんなこと一言も聞いてないけど。っていうか、「来週」って言ったのお母さんだよね?って感じ。


母の中では「節分過ぎた来週以降」=「2月4日」という脳内変換が行われたようだ。
で、用意して待ってるとか言ってるものの「お返し」はまだ用意が出来てなくて(当たり前、だってその日が土曜日なんだから)、だから来週じゃなきゃダメだってお母さんがそう言ったんでしょ、だから今日は行かないよ、と言ったら

「今日来てもらっても良かったんだよね・・・でもお返し用意してないから・・・」


と、完全に矛盾というか、どっちなんだよっていうことを言っている。(これは2月1日の時もそうだった。)
「良かった」と言っているけど、完全に内容は「今は困る」って。そして、だから土日に用意するから来週ってことになったんじゃない、と言うと・・・そうだなぁと言っている。


最期に「はいはい、わかりました」と、いかにも口先だけの返事をしてくる。
アタシもちょうど出掛けだったからちょっとキツイ口調で言ってしまい・・・自己嫌悪。



なにかフツーなら、こっちの言ったことの内容を理解して→それを覚えておくという流れだと思うけど、理解していないのに返事だけしているのか、理解していても覚えておくことが出来ないのか・・・いずれにしても「昔とは違う」というのを痛感した。



アタシは、人間は子供から大人になり、子供に戻っていくというのを信じているというか、そういうもんだと思っているのですが、その感覚からするとかつて大人だった母は子供に戻っていく途中。
「大人として出来た時」を知っているから「これくらい」と思っているアタシが間違っているのだと思う。
いつも思うことですが「出来ない」ことはある。当然ですが、悪気とか故意とか、そういうことではなくて「出来ない」。


運動機能的な部分だけじゃなく、全て「昔出来ていたからって今も出来るとは限らない」というのを再確認した出来事だった。
そして、アタシも将来こうなるんだなぁとも思った。