ギャップ

090704虹色のかさ

最近(というような短い期間でもないようですが)マタニティヌードというのが人気?なんだそうだ。


こういうのを聞くと、あたしって本当に女性としてなにか欠けているのかも・・・イヤ、女性としてじゃなく、人間としてなにか欠けているのかも・・・って思えてしょうがない。っていうか、実際欠けているんだろうなと思う。



自分は女だし、子供を産んでいるので当然妊娠期間もあったわけです。確かに妊娠期間中、特に出産が近づくにつれて誇らしいような気持ちが強くなっていたのは思いだせる。自分は体一つなのに、命は一つじゃないんだよって、そういうのってすごく不思議なことだし、やろうと思って出来ることでもないし。
で、上の子の時はそんな大きなお腹の自分の姿を残しておきたくて1枚写真を撮りました。あ、もちろんヌードとかっていう大そうなもんじゃないですよ。普通に洋服を着てましたけど。



だから、今、その誇らしい気持ち(テレビとかネットとか新聞とかでは「女性の最も美しい姿を残しておきたい」という気持ちかららしいから「誇らしい気持ち」とは違うかもしれないけど)で自分のヌードを撮りたいって気持ちはわからないわけではないんです。でもね・・・



今の自分は「普通」の人なわけですよ。そうするとね、そういうお腹の大きい女性の写真て、なんか直視出来ない感じなんです。別に「みっともない」とか「醜い」とかそういう外見的なマイナスイメージで「そんなもん見せるなよ」って思っているわけじゃないのです。ただ・・・・



メチャクチャ怖いんです。




なんだろ、「畏怖」って言葉そのもの。もう・・・だってね、ある意味人間じゃないみたいな、体一つに二つの命って、神様みたいなもんです。(「神様」は流石に大袈裟かもしれないけど・・・。)だからホント、怖いし、畏れ多いし、とても直視して「美しいなぁ」なんて思えないんです。「美しい」より「畏怖」の気持ちの方が勝ってる。
実はその気持ちは妊娠期間中にもあって(写真は撮ったけど)誇らしい気持ちと、一方で「得体の知れないなにか」がお腹の中に存在しているという不安みたいな気持ち。だって、「自分のお腹」の中に自分の気持ちではどうにもならない「誰か」がいるのって・・・状況として「有り得ない」くらいな不自然なことじゃない?
あ、こういうことを書くと妊娠したとか子供を産むとかいうことがうれしくないのかって言われそうだけど、嬉しいとかそういう感情とは全く別な場所での気持ちってこと。そりゃ、うれしいですよ、あたし、ダンナがほとんどいないような状況だったので早く妊娠したかったしね。けど、そういう事実とか将来への期待とかそういうのとは全く別次元というか、別ベクトルで「怖い」みたいな気持ちは「絶対」にあった、あたしの場合。




だから、今、マタニティヌードとかってってのは別にいいと思うし、誇らしい気持ちってそもそも「ほら、すごいでしょ、見て、見て」みたいな気持ちだと思うから披露したい気持ちもわからないわけじゃないけど、当事者でなくなった今はどちらかというと「ひく」感じ。自分で「あぁ、あの時そんな誇らしい気持ちだったっけ・・・」と思い返すためだったりっていう個人的な気持ちならいいけど、出来ればあまり見たくない。だから世間ではそういう写真集とかが「人気」みたいな話を聞くと世間の人達はなんて強靭な精神の持ち主か・・・と思ってしまう。


だって、わたしは本当に怖いんだもの。


たぶん・・・ですが、今まで何度かすごい星空を見て「怖い」と感じると書いてきてるはずだけど、それに通じるものがあると思う。そしてそれは私自身が純真無垢なキレイな心の持ち主じゃないからだと思うとも書いてきてると思う。
世間の人達は私みたいに後ろ暗いところがほんの一点もなく清らかに生きているのだろう。



セックスにしても、決してその行為自体を恥ずかしいものとは思わないけど(あ、単なる裸、ヌードも含めて)妊娠、出産も「秘密」な部分があっていいと思う・・・というよりはそれより強く「秘密」なものであるべきだと思っている。
個人的には「本当に大事なもの」はあまり他人に「披露」したくないから。