日本人(大昔)の言葉に対する感覚ってすごいと思う

昨日NHKのラジオを聞いていたら


「友達たち」


って言葉についてやっていた。
その時の説明というか、解説というか、元々の意味っていうんでしょうか?そういうのを聞いて感心というかなんというか、「すごいよなぁ」って本当に「へぇ〜」と思った。
(メモとって聞いてたわけじゃないので間違ってる部分もあると思いますので、くれぐれも鵜呑みにしないように・・・。)



「達」(そもそもこの漢字が正しいかどうかまでは知りません)っていうのは、その昔、たぶん大昔は「複数」の意味の他に「尊敬」の意味があったんだそうです。
例えば「男達」っていうのは身分の高い男性って意味なんだそうです。だから一般人は「男」。(そういえば、物語なんかは「昔、男在りけり」みたいな感じでしたよね、確かに。)
その逆もあって「供」(この漢字で正しいのかどうかは知りません)っていうのは、ちょっと下に見る感じなんだって。だから「子供」とか「野郎ども」「手前ども」みたいに使うんだそうだ。(こちらにも同じく「複数」の意味があったそうです。)


で、それが段々「複数」の意味と、「複数」の意味が薄れた使い方をされるようになってきたらしい。
例えば複数の意味が残っているのは「私達」「あなた達」で、複数の意味が薄れてきている(もちろん残ってもいる)のが「友達」。
誰かに「こちらは私の友達です」って紹介する時、一人でも「友達」って言いますよね。
(たぶん、この感覚で言うなら「野郎ドモ」が複数、「手前ドモ」は複数の意味が薄れてる方じゃないかと思います。)




で、最初に戻りますが「友達たち」っていうのは、友達(複数)を更に強調した言い方なのでは、と解説されてました。
ふぅ〜ん。


アタシは、自分の意識として「友達たち」っていう言い方を聞いたことはないんじゃないかって思います。が、この使い方?が許されるのであれば(まぁ、許す、許さないって問題でもないですが)「人々達」「父兄の方々達」みたいな「?」な使い方もこの先出てくるんじゃないの?って思ってしまいました。



いやぁ〜、それにしても昔の人の言葉に対する感覚ってすごいよなぁって思います。
単語にナニカ付けて尊敬を表すとか、とにかくちょっとの「スキ」でもあれば、ソコでなにかを示そうとするというか、手を抜いてない感じというか・・・。


今なんか、なんでもかんでも省略したがるのに。