感動とか奇跡とか

アタシが人でなしなことを最初に言っておきます。




「24時間テレビ」ってやってましたよね。
アタシはアレを見ていても心から感動するとかないです。


チャリティーとかそういうのを否定するつもりはないし、番組の中で世間にはあまり知られていないような病気について取り扱っていたりして、そういうことに対する世間の認知度を上げるっていう意味ではすごく良いことだと思います。(関係ないですが「アイス・バケツ・チャレンジ」ですか、アレもそういう意味では良いと思っています。)




ただ、なにか「テレビ」の企画とか演出とかがイヤ。
感動させよう、感動させようっていう「姿勢」みたいなのがイヤ。
そういうのを感じてしまうから(あ、単純にアタシにはそう感じられるということで、別に番組作っている人がそこまで「押し付け」ようとしているかは不明です)感動まで辿り着けない感じなんです。



なんていうのかな・・・感動させようっていう見せ物みたいな感じ。




上手く言えないですが、テレビが企画としてやるんじゃなくてどこかのだれかが1年、2年・・・何年も前から計画していたとかっていうのを「聞きつけて」完全密着とかいうなら良いと思うんです。(実際には全部そんな感じでやってるのかもしれないですが。)けど、見てるとテレビのためにやってるように見える。(だって、わざわざ「LIVE」とか・・・。)




取り上げられてる人達はどんなかたちであれ、取り上げられて世間の理解が得られて嬉しい・・・みたいな感じで喜んでいるのかもしれないです。そうならテレビの企画だろうがなんだろうが役に立ってるわけで、見てる完全部外者のアタシがとやかく言えた義理じゃないと思います。
けど、なにか・・・本当に素直に感動出来ない。(決して当事者に文句言うわけじゃないし、その頑張りは頑張りとしてわかるんだけど・・・。)





あと、「マラソン」も、マラソンじゃなくちゃダメなんですか?最初から歩いたらいいんじゃないかって思います。「徒歩き」とか「行脚」とか。
あ、別に歩くのなら簡単とか言いたいわけじゃありません。けど、これもわざわざ「マラソン」にして感動させようとしてるんじゃないかって思えてしょうがない。「ただ」歩いているんじゃ「地味」だってことで・・・。
そして「運動オンチ」みたいな言葉も使われていましたが・・・正直なところ歩くのや走るのに運動のセンスは関係ないと思う。あ、誤解のないように言っておきますが、国内トップレベルとか世界記録を狙う・・・みたいなレベルの人になれば運動神経やセンスって関係あるというか少なからず影響ってあると思います。けど、そういう記録とか関係ないわけですよね?(まぁ24時間以内にゴールっていう目標はあると思いますが。)その程度のレベルで「運動オンチ」って言葉を持ち出すのも「運動オンチだけどこんなに頑張ってる」って思って欲しいのかなって感じがします。
これも念のため言っておきますが、アタシ自身運動オンチです。フツーの人達が結構運動部に所属する中学、高校時代も運動部には一切所属したことないくらいです。そういうアタシから見てそう思います。






あと、「奇跡」って・・・なんだ?って思ってしまう。
以前に「カリスマ」って言葉についても書いたように思いますが、なんだかすごく軽いというか、薄っぺらというか、安っぽい感じがする。カリスマってアタシの中では日本に一人いるかいないか・・・ぐらいの稀な存在って感じがしてるんですが、今の日本にはカリスマってすごくいっぱいいるじゃないですか。カリスマってその程度のものなのかなぁ・・・って思ってしまうんです。
奇跡についても同様で、奇跡ってもう偶然に偶然が重なって、重なって・・・ってぐらいの相当低い確率のこと、普通じゃあり得ないくらいのことが起きるって、それくらいのイメージですが、結構簡単に起きる奇跡っていうか、それって奇跡っていうの?みたいなことを奇跡って言ってるような感じがする。まぁ個人の感覚の違いって言われるとそれまでですが・・・。
(イヤ、別に偶然に偶然が重なって・・・っていうのじゃなくても良いというか、もっと根本的なことで良いなら今自分がここに存在していること自体が奇跡って思ってます、だけど、たぶんそういうことじゃない「奇跡」について言ってるんじゃないかと思うので。)






なにか壮大な言葉を使ってる割にやってることは単なるお祭りみたいな感じで・・・全く意味がないとは思いませんがアタシはなんかイヤな気持ちになります。
くれぐれも冷たい人でなしなんで。