そういう言い方

夫婦別姓とかで色々な議論?がされてますが、その中で「外国では」みたいな言い方する人ってどういう気持ちでそういう言い方をしてるの?って思ってしまいます。
例えば「ダンナの姓に変えるのがイヤ」っていうなら、それは理由としてわかるんだけど(アタシは別にイヤでもなんでもないですが)「外国では」っていうのは別に理由でもなんでもないと思うんだけど。
だって「外国では」っていうのが理由になるとしたら、もう全てのことに対して「外国では」っていう理由が使えるってことじゃないですか。



以前もなにかで書いてるような気がしますが、他人と比べてああしたほうがいい、こうしたほうがいいって、アタシには意味がないように思います。
多数決みたいなことを言いたいのかな。
でも、多数=良いことってわけでもないですよね。
なんでこういう言い方するのか本当にいつも不思議に思ってます。
しかも、そういうこと言ってるのが子供とかなら「〜ちゃんもああ言ってる」って、子供だなぁ〜とか思うんだけど、大人でしかも「識者」みたいな人がそう言うのってなんでなの?って思います。



あ、で、夫婦別姓についてですが・・・そこまで自分の名前にこだわりがあるのなら、昔みたいに苗字なんかなくして現状の「下の名前」だけにしたらいいんじゃないですかね。そしたら別姓もなにもないでしょ。
似たような名前が多くて識別するのが大変とか言うなら、今はマイナンバー制度なんてのもあるわけだからソコは問題じゃないような。



そして、姓をなくした後は勝手に「風車の弥七」「コンドルのジョー」「砂の我愛羅」みたいに、自分で勝手に、あるいは誰かが言い出して自然に通り名をつけたらいいんじゃないの。



これも「外国ではそうしてる」って話しならOK?