体罰と反省

とりあえず「体罰」=「虐待」ではないとしてのハナシです。
(別に体罰が良いこととは思ってないですが、ここでは毎日毎日24時間殴る蹴るして内出血、骨折する、毎日ご飯一食みたいな虐待とは区別してのハナシです。)



子供(幼児)と大人は別だっていうのはアタシもそうだと思います。
(一方で子供って何歳までだ?っていうのも気になります。)


で、世の中の出来た大人は「体罰イカン」と言います。ちゃんと話せばわかる、みたいなことです。
これについても、アタシも言いたいことはわかります。



が、



話してもちゃんとやらないヤツっているんじゃないの?
体罰」をしょうがないみたいに思ってる大人だってハナから体罰をしてたわけじゃないと思うのですが。
単純にアタシのイメージですが、大抵の大人は最初は注意する、みたいなところから入っていくと思うわけです。それが「何回言ってもやらない」みたいなことになるから「一発殴る」ことになるのでは。
あ、まぁこんなこと言ってると「それは話し方が悪い」「教え方が悪い」ってことになるのでしょうが、正直世の中そんなに「口が上手い」ヒトばかりじゃないですよね。(学校の先生みたいに「教える」ことを習ってきてるわけじゃない。)
平均的なところとってもやっぱり「言ってもわからない」ヤツはいるような。



で、個人的にはそういうヤツの指導を世間の出来た大人に直接やってみてもらいたいと思う一方、子供に対しては体罰はダメっていうけど・・・大人になって悪いことしたら(体罰とは違うかもしれないけど)刑務所に入るなりなんなりっていうのがあるじゃないですか。(その究極が現在の日本では「死刑」だと思うのですが。)



体罰がすごく良いことだとはこれっぽっちも思ってないですが「反省」して欲しい時、話しても全く「反省」してないように「見える」時はどうしたらいいんですかね。
大人も子供も。



(ということを言うと体罰では「怖い」という気持ちが残るだけでそれは「反省」とは違うみたいなハナシも出ますが・・・・それまでさんざん注意されていざ殴られても「なんで殴られたか」みたいなこと考えないで「怖い」みたいな気持ちしかないのであれば・・・逆にそれって終わってる感じがする。)