「愛着」

【100キロ超でカーチェイス! "あおり運転"の果てに横転…22歳と45歳の男を書類送検 北海道】


以前「今(これから?)の世の中には「愛着」っていうのはない(なくなる)のかも」みたいなことを書いたような気がします。
たぶん、その内容って最近はなんでも「シェア(レンタル)する」っていうのが多くなってるみたいで、洋服はもちろん、腕時計とか車とか「自分のもの」みたいな感覚がないから「愛着」っていうのもないのかも、みたいな内容じゃなかったかと思います。


アタシはハッキリ物持ちが「良過ぎる」きらいがあり、マァ捨てられない人です。そして、捨てられない=放置というわけでもなく大事に使っていると思います。(まぁ中には大事にし過ぎて使わないっていうのもまぁまぁあったりしますが。)
で、長く手元に置いて使うと、なんというか情が移るというか、それこそ「愛着」だと思うのですが粗末には出来ない。


だからこの記事のように「22歳の男が自らの軽乗用車を45歳の男の乗用車に衝突させた」とかいう気持ちが本当にわからないです。
車の場合なんかは特にそうで、今アタシが日常的に運転してる車はもう18年くらい経ってるのですが、毎日頑張って走ってくれているから「アタシを載せて走ってくれて有難う」みたいな気持ちでいるし、出来たらまだ乗り続けたいので(ですが非常に危険な状態・・・)毎日心の中で「長生きして」と祈っています。



自分の車ぶつけるって・・・車がかわいそうです。
車に限らずですが・・・なんでそんなに雑に扱えるの?