死にたい気分。

「今は昔」の表現(内容)とは正反対ですが「現代は原始時代」だと思う。


現状というか今後(なのかな?少なくともワクチンが出来るまで?)は常に新型コロナウイルスに感染するんじゃないかという「緊張感」を持って生活しなくちゃいけないっていう、その「理屈」はわかります。っていうか、たぶん多くの人が思っている「自分のせいで他人を死に追いやる」ことはなんとしても避けたいっていうのは気持ちとしてわかります。そしてその気持ちがあるんだったらちゃんと予防しろよっていうのは十分承知しているつもり。



ただ・・・アタシはそこまでの強い精神力がないです。



ラジオで(あとネットかテレビでも)感染の予防を考える時「塗りたてのペンキ」をイメージして行動する、みたいなのを聞きました。間違ってたら申し訳ないけど内科医の方の意見だったような。ラジオではコレを言ってる先生はメチャクチャキチンと行動しているようで、コレも間違ってたら申し訳ないけど、外ではもちろんだけど、家に帰ってきたら玄関で衣服を脱いでそのままお風呂に入るくらいに徹底してやってるそうです。(ラジオでは一人暮らしなら?家を出る前に玄関入ってからお風呂に入るところまでなんにも触らなくていいように「開けて」おくのがいいと言ってました。)


わかります、やるなら徹底的にやらないと、中途半端にやるのでは意味がないと。



でも・・・アタシはハッキリ言ってホント、そこまで緊張しながら生活出来ないです。家を出たら世の中全部ペンキ塗りたてってことは、もう一瞬たりとも気が抜けないってことじゃないですか。油断してぼ~っとしてたら「その時」にどこにペンキが付いたか自分じゃ気付かない。気付かなければそこからどういう順番かはわからないけど、最終的に口や鼻やその他から体に入っちゃうことがあるかも。



公園とかのベンチやら遊具やらに「ペンキ塗りたて」って書かれていたら、ソコだけ注意すれば良いけど、世の中全て「ペンキ塗りたて」じゃぁアタシはもうノイローゼみたいになって死にたくなります。


で、この状況って原始時代(?ちょっと詳しくなく思い込みで言ってますが)に人間が獣?から自分の身を守るのに常に緊張にさらされてたのに似てるんじゃないかって思いました。もう常にです。
だって、ホント、言い方としては批判されるかもしれませんが、仮に原始時代に赤ちゃんとか老人(その時代の老人が何歳ぐらいかも知りませんが)をそのヘンに置き去りにしたら人間以外の動物に襲われちゃうんじゃないの?今は「文明」だか「文化」だかわかりませんが、そういう「弱い者」をみんなで守ろうっていうシステムの中で緊張感のある人がウイルスからまぁまぁ守っている。(ですがやはり全部とはいえないから亡くなってる人もいる。)


っていうか、そもそも人間てそういう「脅威」から自分たちを守ろうとして「集団生活」をし始めてるんじゃないかと思うんだけど(小さい集団がだんだん大きな集団になって最終的には「国家」みたいな感じになる「集団」)今はその「集団」がマズイってことになっていて、みんな集まるのをやめましょうってなっている。
大きな集団が小さい集団に解れてきていて、でもとりあえずネットなんかで「繋がってるよ」って、離れていても「一つだよ」って。


なんかなぁ・・・。
原始時代かどうかちょっとよくわからないけど、人間が獣から身を守るのに「火」がすごく重要だったんだと思いますが、今の時代の「火」は「ネット」か、はたまたそのネットを自分の手の中に持てる「スマホ」なのかな。
スマホ」って現状では「松明」なのかも。



一瞬たりとも気が抜けない(気を抜いたら命とり)っていうそっちのストレスで死にたい気分。