これで出来る人はもうやってると思う。

【夫を動かす魔法の声がけ6選!「靴下を丸めて出す」「トイレの蓋を閉めない」など夫が増やす“名もなき家事“を減らす】


家のダンナは家事は全くしません。たぶん今時の考え方だったら即離婚と言ってもおかしくないくらいだとアタシは思っています。
(ただし、アタシ自身はそれ以上のものを受け取っていると思っているので-お金じゃないよ-それに不満はないです。)


でもまぁ、こういう記事があると読んじゃうわけですよ。
で、結果として・・・まぁ家のダンナにっていう意味では全く意味ないなと思った次第です。
「この程度」の声掛けでやってくれる人はもうやってると思う。
(というと、これを何度も繰り返して「教育」?「躾」?「習慣」?にしていくんだと言われそう・・・。)



記事では「男性は、目的や意味が明確だと動きやすいので、“これをやらないとこうなる”“こうすることで誰かが喜ぶ=自分がほめられる”と理解できるように伝えましょう」なんて一文があるのですが、そもそも「これをやらないとこうなる」という結果に困らないのですよ。これをやらないとこうなっちゃって困るなぁって思えたら、たぶん言わなくてもやってるはずなんですよね。
もっというなら、困ると思う人がやったらいいんじゃないのって感じ。(第三者的にダンナ自身が困るんじゃないの?と思ったとしてもダンナ自身は特に困らない。「困る」って主観だから。)
「こうすることで誰かが喜ぶ=自分がほめられる」っていうのも、別に褒められたいとも思ってないし、誰かを喜ばせようという積極的な気持ちはないと思う。(ここでは誰かって家族だと思うのですが。)あ、違うか。家のダンナ、子供にはメチャクチャ気に入られたいと思ってるような気がする。(子供のことについては率先してやってるような気がするので、そういう意味ではアタシを特別喜ばせようってのはないと思う。)


まぁ、長年(とアタシは思っている)ダンナと暮らしてきて、アタシとダンナの目的は違うし、お互いに出来ないことはあると納得している。
やろうとするかしないかじゃなく、出来るか出来ないか。