後悔

アタシ、最近は後悔なく生きてるのです。
なんかこんなことを言うと大層立派に生きているんだねって皮肉を言われそうですが、ぬかりなく生きてるってわけじゃなく、まぁ言い方を変えれば諦めることが上手になってるってことかもしれないです。



世界的に有名なスポーツマンなり経営者なり、歴史に名を残すような立派な人達は「思い続ければ夢は叶う」とか「努力すれば必ず出来る」みたいに言う人が多いと思います。アタシもそういう人達は普通の人が出来ないような努力をし続けた人達だと思います。決して才能があったから、なんていう単純な理由だけで「一握り」に入ったわけじゃないと思ってます。
だけど、一方で「努力」だけではどうにもならないことも世の中には多いと思っているわけです。(あ、あと「愛」とかいう言葉で片付けられないことも多いと思ってます。)
極論ですが、貧しい生活の中で大人になるまで生きられない子供たちがいると思いますが、その死んでいく子供たちの中に実はものすごい「才能」を持った子もいるかもしれない。でも生きるためにその「才能」に対する「努力」をする時間がなかったり、「努力」はしていても経済的なバックアップがなかったり、世間がそれに気付くための「キッカケ」をつかむことが出来なかったりと本人の努力だけではどうにもならないことがすごく多いと思っている。色々な条件が色々な理由で上手くかみ合った時に「成功」ってあると思うのです。



そんなわけで私自身は自分がしてこなかったこと、出来なかったことは「しょうがない」と「あきらめ」ているわけです。
人には色々な事情で出来ないことってあると思うのです。
あ、強く言っておきますがね、自分自身としての努力をしないわけじゃないですよ。アタシは常日頃から「頑張らないけど全力でやる」ことにしているんです。(あくまでもイメージ的なものかもしれないですが。)自分が出来ることは自分のその時の全力でやります。けど全力以上の力ではやらない。出来ないことはやらない。(たぶんだから成長もあまりしないんだろうと思いますが。)
傍から見てたらそれって努力してることにならないって言われちゃうかもしれませんが、自分の力以上の力でやるって、そいうのって「持続」出来ないと思うのですよ、アタシは。長く続かない。自分はどちらかというと瞬間的な自分の力以上の努力よりも出来ることを長く続ける継続は力なりタイプの人間と思っているのです、結構地味な感じ。
なので、後になってから「あの時どうしてアレをしなかったんだろう」とか「あの時アッチを選んでいたら」みたいなのってナイのです、それは自分に出来なかったことだから。当然後悔もないです。


「後悔」って私としては(辞書に載ってる意味とは違うかもしれませんが)未練を残すことじゃないかなぁって思うのです。ソレに対する気持ちが残っている「あの時ああしておけばよ良かったなぁ」って忘れられない。言い方を変えれば忘れられる(忘れている)ことには「後悔」ってないんじゃないかと思うのです。


最近はなんでもかんでも「済めば」ドンドン忘れていく。なんか覚えておきたいほどのことがない。(うれしいことは別。)
自分、結構しあわせに(言葉を変えると「おめでたく」)生きてるんです。




しかし!
今ほど他人のことを気にせずキッチリ自分ルール?を決めないで他人の顔色ばかり伺って生きてた頃のことなのですが、アタシは今もすごく後悔していることがあるんです。しかも、ソレはその時にしか出来なかったことなんです。ホラ、何かを始めるのに遅いってことはないとかいわれることがあるけど、そういう「何時からでも出来る」ってことじゃないことなんです。その時にしか出来ないこと・・・・それを今でも後悔しています。



あの時のアタシは本当に、本物のバカだったと思います。
もっと良く考えれば良かった。
一般常識とか他人がこう言うからとか、そんなのどうでもいいことだった。
今更どうしようもないことだけど、心底後悔しています。



だからこそ、今、今から先の未来はひとつの後悔もなく生きていきたい。一秒後に死んだとしても思い残すことがないように。
やれないこと、出来ないことがいっぱいあったとしても。