好きなこと(やりたいこと)が出来る=最善、なんて単純なもんじゃないと思う、人生は。

あの、今まで似たようなことを何度も書いてきてますが、昨日の国会中継を聞いていて改めて思ったこと。
今の世の中、なんかオカシイと思う。
なんで都合のいいことばっかり言うのかな。



たまたまアタシが聞いてたのが奨学金についての質疑応答だったんです。
質問してるのが誰かとか全くわからないです。(正直興味もなかったので。)
質問の内容は今は奨学金を借りて大学やら大学院やらに行く人が全体のなんパーセントだかいて、でもその人達はその後「奨学金を返せるようないい生活」(←実際にはこういう言い方はしてなかったです、もっとそふとな言い方)が出来ないから奨学金を返せない。奨学金を返していくだけで精一杯だ。そんなのはオカシイ。(←とは言ってないかも。)貸与じゃない奨学金制度にすべきだ。外国はだいたいそうしている、みたいな感じ。




あの・・・・アタシはなにかこういうのを聞いていて、それはオカシイんじゃないの?って思ってしまうんです。
今はなんでもやりたいことをやるのが一番いい、やりたいことが出来るのが「最善」みたいな風潮があると思います。確かにやりたいことを目指していくことは良いことだとは思うんです。そこは否定しない。
でも(これはアタシ個人の信念というか方針?なのですが)ホント、人生って選択とバランスだと思っているんです。(以前選択とバランスと覚悟って書いたことがあったと思いますが、やっぱり選択とバランスです。覚悟は選択の中に含まれていると考えるので。)


選ぶのは自分。



だから、奨学金を借りる時に当然返すことが前提になっていて、それをわかっていて借りてるはずなんです。まさか、返すのがこんなに大変だったとか言うわけじゃないですよね。そういうのだって何年間返さなきゃいけないとかわかってるはずです。奨学金じゃなくて(まぁ同じと思いますが)普通のローンだって月々いくら返さなくちゃならないってわかっていて借りるわけですよね。で、普通は返せる見通しがあるから借りるんじゃないですか?そりゃ想定してない事故なんかもあると思うから100%返せるってわけではないかもしれないけど、一応目途が立つから借りるんですよね。なんとなく返せるんじゃないかなぁ〜みたいな感じで借りてるとしたらそれは借りた本人が悪いと思います。


こういうことを言うと家計が苦しくて親がお金を出せないから子供が借りてる。子供には責任はない、とか言われちゃうかもしれません。でも、アタシは思うんです。そこで選択が必要なんじゃないかって。



なんとなく大学行きたいっていう気持ちと、長く借金を返し続けなくちゃいけないっていうことを天秤にかけなくちゃいけないんじゃないですか。
あの、アタシは今、本当に強く思ってますが、誰しもが大学に行くなんていう今の世の中オカシイんじゃないの?
ただ勉強したい、なんとなく大学に行きたいくらいの気持ちで大学に行くのはお金持ちだけで十分なんじゃないかって思います。で、お金がなくても本当に頭が良かったり情熱があったりする人にだけ(たぶん今もあると思う)無償の奨学金を出したらいんじゃないですかね。


あの・・・義務教育ちゃんとやってれば普通程度の知識は備わると思うし、普通に生活してたら社会的なことも身に着くと思います。まぁ高校ぐらいは「行きたい」くらいの気持ちでも行っていいと思いますが、大学以上は別に行く必要ないんじゃないですかね。あ、本当に専門的に何かをやりたいという熱意と実力がある人で経済的に厳しい人には奨学金を出してあげたらいいじゃないですか。


そうそう、ちょっと前にネットで「オリンピックでメダルを期待されてたのにメダル取れなかった人、税金を使ってるんだからお金を返せ」(←ちょっと書き方は違うかも)みたいなこと書かれていたのを見ましたが、そんなこと言ったらそれこそお金借りてまで大学行って楽しい大学生活を送ったのならお金を返したらいいんじゃないですかって思います、それだって税金ですよね。
なにか、言い方悪いかもしれませんが、オリンピックでメダル取れなくてもそこまでの努力って奨学金借りて楽しい大学生活送ってた人よりずっと苦しいトレーニングとかしてたんじゃないかって思います。そういう人にソレを言うなら奨学金のこともっと問題にしたらいいんじゃないですかね。



で、アタシは借りて苦労するくらいなら借りなくちゃいいんじゃないかって意見です。
イヤ、奨学金返すのが苦しくてもそれでも勉強したいんだって、そこまでの覚悟があるなら借りたらいいと思うし、それくらいの覚悟ならたぶんその道でも成功?するんじゃないかと思います。
選択するのは自分だと思う。


なにかね・・・今の世の中ってやりたいことを我慢しないのがいいみたいな感じでしょ。ソレ、オカシイと思う。
全てを手に入れようとするのは間違ってる、とアタシは思う。
皆意識していないだけで、全てのことに制限がかかっている、とアタシは思う。



だって、例えば家計だってそうだけど、やりたいことなんでもかんでもやってたらお金って足りないじゃないですか。相当なお金持ちの事情はわからないけど、金額の大小はあるにせよ、大抵のお宅ではみんなそうやって色々な条件で取捨選択して毎日を生きてる。家を買ってローンがあったら、他のなにかを削ったり、たまには旅行したいと思ったら何かを削ってお金を貯めたりって・・・そういうことないですか。
それってお金だけじゃなくて全てに当てはまることだと思うし、国の予算だって本当はそうでなくちゃいけないんじゃないのって思います。誰にでもいい顔してたらお金なんか続かない。(だから借金が増える一方なんじゃないの?)




なにか「学びたいと思う心を大事に」みたいなこと、すごく理解ある言葉みたいに聞こえるけど、ソレは義務教育でやったらいいことじゃないかと思います。
それ以上の知識ってなにがなんでも必要ですか?
っていうか、なにかの標語みたいだけど、学びたかったら何時でも学んだらいいんじゃないの?大学行かなくちゃ学べないことなの?ソレ。



悪いけど、そういうこと言ってるから「やりたいこと」しか仕事にしたくないみたいな感じになっていくんじゃないの?
仕事ってやりたいことだけが仕事じゃなくて、そもそも生きていくためには仕事をしなくちゃいけないんだよ。食べるために仕事をしなくちゃいけないんだよ。
そしてやりたい仕事じゃない仕事にもやりがいはあって、それに気付けない人はどんな仕事をしてもキチンと仕事が出来ない人だよ。




ただで大学行って、その先の仕事でどんなすごいことしようとしてるんでしょうか?
で、一番イヤなのが「外国では給付型の奨学金だ」って外国のことを引き合いに出す・・・なんで外国と同じにしなくちゃいけないんでしょうか?
イヤ、それが理想だっていうのはあると思います。
でも、それって「お隣はそうしてる」「お隣の子は頭がいい」「お隣のご主人の年収は」みたいな、それとおんなじことじゃないですか?そんなの比べてどうすんの?って思います。
前にも書いてると思いますが、なんでそうやってピンポイントで比べたがるのか。比べるんだったら他の全てを比べなくちゃ意味ないと思うし、でもそういうことを考えると歴史を含めた民族的な価値観みたいなのもあるから・・・比べることに意味はないと思います。





なにか、ホント、今の世の中の考え方、アタシはオカシイと思う。