昔のモノや思い出や

未来への希望がある人にとって必要なモノなのかも。



昨年からず~っと少しずつ遺品整理なんかをしています。
それをしている中でつくづく自分が死ぬ時(死んだあと?)は自分のものがほぼないくらいにしておきたいなぁと強く思います。
特にこれまでにも書いてますが本人にしか意味のないもの(というのは言い過ぎかもしれないですが)は後の人にとって本当に整理がし辛い。
整理をする人がず~っと仕舞っておく覚悟があれば、とりあえずその整理をしている人が亡くなるまでは良いですが、ではその人が亡くなった時、更にそれを整理する人は本当に困ると思う。


あ、まぁ自分のものでないから全部捨てるっていうなら別に困りもしないでしょうけど。


で、最近ず~っとそうやってある意味「他人のモノ」を整理していく中で自分自身の持ち物について考えたり整理もしたりしていて、結局みんなが持っている「モノ」って、それが思い出の品物とか趣味のモノとかモノでなくても思い出とか、そういうのって未来に対する希望がある人が「持っていたい」って思うのかもなぁってことです。


例えば昔の思い出の品物みたいなのは「今」はもちろんですが、「未来」においてその思い出を思い出としたいというか、「未来」の自分がその思い出を思い出せるようにみたいな、自分の未来のために残しておきたいんじゃないかと思う。趣味のモノとか、趣味じゃなくてもただの「モノが捨てられないヒト」でも「いつか使うかも」って「いつか」の未来のために残しておきたい。それって未来に対する希望というか、「生きたい」までのハッキリした欲ではないかもしれないけど無意識のうちに「未来に生きてる自分」のために残しておきたいんじゃないかな。「未来の自分」がその時に生きるための「よすが」なんじゃないかと思う。


あ、まぁモノだけじゃなくてお金だって将来のために残しておきたいと思うから当たり前か。
仮に明日死ぬのがわかっていたら別に今日生きるためのお金があればいいもんね。



と、色々なことを考えていて、最近のアタシはもう人生半分以上生きてきてるので(もちろんフツーの感覚でいったらこれからも十分過ぎるくらい長いのですが)びみょ~な感じで持ち物の整理をしている。
自分の中で「未来への希望」みたいなのを考えた時に、とりあえず現状のアタシは特になにもなく、ホント、現状という意味では人間としてやることはやった、みたいな気持ちでいるのでもうほとんど何もいらないなぁ。(日常生活を送るために必要なものは必要ですが。)


趣味のモノも結構色々手元にありますが、ソレについてもそろそろ「終わり」を決めてやっていきたいと思っている。
現状は、「いつか」っていうのはナシで生きていこうと思っている。