「しょうがない。」

たぶん「文明」にとっては絶対許されない言葉なのだろうなぁと思うこと。



アタシ、ホント自分自身が冷たい人間だっていうのを承知していますが、例えば何かの事故とか病気とかで誰かが亡くなるみたいなのを「しょうがない」って思う人間なんです。よくニュースなんかに一般の人が「自分の身内に同じことがあっても同じように言えるのか」みたいなコメントをしてるのを見ますが、そしてそれは世の中の大多数の意見だろうなと思うのですが・・・アタシは「そういう運命だったのかな」みたいに思っちゃうのです。


もちろん、例えば昨年の池袋の事故みたいなことが自分の身内に起きたとしたら「なんで車運転したんだ」みたいなことは思うし、悲しいのは言うまでもないことです。でも一方で「起きてしまったこと」で、自分自身としてはどうしようもなかったことだと思うんです。あの事故の場合、自分自身としてなにか出来ることありましたか?出来るとしたら「事故に気を付けてね」って言うくらいしかなかった思う。そう考えると「そういう運命だったのかな」みたいに思うしかない。(言っておきますが、だから相手を許すとかそういう次元のハナシではありません。)



事故もそうだけど、病気でも(アタシが一番思うのは延命治療みたいなの)「ただ生きてるだけ」がそんなにいいことなのかなって思っちゃうんです。もちろん本人が「とにかく生きたい」と思ってるならその希望は叶えてあげたいと思うので、そういう場合は延命治療「ダメ」というわけじゃないですが、アタシ自身がそうなった場合ソレはもう「しょうがない」ことなんだから余計なことはして欲しくないんです。
そう、アタシにとっては完全に「余計」なことなんです。


今の世の中はなんでもかんでも環境的(物理的)な「対策」しておけば防げたみたいな雰囲気がありますが・・・なんかアタシにはそこまでしなくちゃダメな「人間」てなんなのかなぁって思います。



メチャクチャ大昔の人は例えば大けがしたら完全に治らないとか、ひょっとしたら死んだりなんて結構フツーにあったんじゃないかって思うんです。そうなったら関係者(特に親族)はすごく悲しいと思うし、だから例えば良い薬なり、昔なら祈祷とか?もっといいものをって考えての今があるんだと思う。だけど、そういう昔の人の「その時」は「しょうがない」とか「運命だ」とかみたいな気持ちがあったんじゃないかって思うんです。(そう思わない人が文明をここまで進めてきたのだと思う。)


今のアタシは、今の人間は全てにおいてやり過ぎだと思ってるので、今防げない大抵のことは「しょうがない」ことに思える。